2024. 2. 22
レビュー論文への付言 (2)
AMSSの元代表2人が執筆した,音刺激による神経可塑性についての論文が出版された(オンラインアクセスはこちら)。
この論文を書きながら疑問に思ったことや苦労したことを ―― 本文中のなかでは文字にしなかった部分も含め―― ここに付言し,今後の音楽神経学の課題を明確にできればと思う。
音処理におけるpredictionの重要性をうたっている論文は極めて多いが,脳波を記録するその瞬間瞬間の神経活動のことは分かっても,結局それが絶えず流れていく音刺激の処理にどう組み込まれるのかまで踏み込んでいる文献は少なかった。我々としては,時の流れとともに刻々と変化する刺激と連動したダイナミックな神経活動を明らかにしたかった。注意にしろ予測にしろ,そこに「時」という概念を付加することで,“temporal” expectationは成立する。様々な「時」を切り取った先行研究を時間の流れの一直線上に並べることがすなわち,縦断研究のレビューという行為そのものであった。あるexpectationに注目した論文が,付随した別の要素についてのexpectationを巻き込んでいることも多く,これが “temporal” expectationについての文献が少ないにもかかわらず今回のレビューが様々なcognitionにまで話を広げられた理由の一つである。
cognitionのなかでもattentionに限定して,temporal expectationの面白い知見を紹介してみよう。
過去のMemoirsで紹介したように,attention自体が神経活動を修飾するのだが,そのattentionもまた多様なバイアスにより修飾されうる。たとえば,実験タスク,すでに耳にした音刺激から導かれる予測,これまでの音楽曝露などで形成された長期記憶,特定の刺激の目立ち具合,感情(今回のレビューのなかにも覚醒度や感情価に言及した論文が含まれている)など,挙げようと思ったらキリがない。attentionが「時」と連動して揺らぐというのも大事だが,そもそもattentionの定義自体が揺らいでいるのだ。実験タスクのせいで特定の刺激に注意が向いてしまうというattentionも,次に来ることが予想される刺激が文脈から絞られてしまうというattentionも,いずれにしたってattentionである。先行研究を見渡してみると,伝統的には前者のタイプをattentionと呼んでいるものが多かった。こういう狭義のattentionのおかげで,attention vs predictionという重要な論点が生まれた(今回のレビューの4.5.節で詳しく扱った)。しかし,MMNはattentionが発動する以前の電位であるといういささか乱暴な主張 (1,2) を許すなど,死角を作ることにもつながった。逆に近年はattentionの指示対象が広がりすぎて,attentionの多義性がもたらす弊害が現れつつあるとも感じる。そこでattentionの定義をいちど整理する必要があった。そのため,temporal expectationに関わるattentionについてはかなり細分化して記述することになった。attentionを広義の単語として括り直したことで,狭義のattentionに実は別のタイプのattentionが紛れ込んでいるのではないかということも見えてきた(4.5.節や4.9.節で指摘している)。
attention vs predictionの議論(以下AvP問題)は,temporal expectationのなかで最も面白い議論の一つであり,4.5.節をぜひ参照されたい。AvP問題が言及しているattentionは「すでに耳にした音刺激から導かれる予測」で生じるattentionのことだと筆者は理解している。そして,この狭義のattentionに関して,大きな論争(レビュー論文の本文中ではdichotomyと表現した)が起きている。attentionとpredictionの区別を意識した先行研究では,予測がターゲット刺激の神経処理を促進する(enhanceする)ことを示したものが多かった。一方で,近年の研究のなかにはターゲット刺激の神経処理を抑制する(attenuateする)プロセスを示したものも増えてきている。実験タスクによってターゲット処理がenhanceされたりattenuateされたりするのは一見不思議に思え,これは長らく調停されてこなかった難題(以下EvA論争)である。
ここで注意しないといけないのは,異なる実験タスクで異なる神経活動が記録されるのは不思議でもなんでもない,ということだ。実験Aと実験Bとで条件が異なれば,それぞれで記録された神経活動が反映している神経処理も異なる可能性がある。そんな状態で実験Aの神経活動と実験Bの神経活動を同列に語ることはできない。それこそAvP問題をめぐる2つの論文を例にとってみよう。Auksztulewicz & Fristonの実験ではattentionが生じない条件ではpredictionの働きが見られなかった(3) が,Garridoの実験ではattentionが生じない条件でもMMNが測定されたことからGarridoはpredictionは起こっていると考えた(4)。Garridoの結果は「MMNはattentionが発動する以前に生じうる電位である」ことを示している点において旧説の肩を持っていることになる。旧説がAuksztulewicz & Fristonにより覆されたかと思いきや,Garridoはそれをまた覆した。なぜこのようなことが起こるのだろうか。両者はともに「attentionが生じない条件」に着目しているのは確かだが,前者が実験内で操作したのはtemporal attentionであるのに対し,後者が操作したのはspatial attentionであった。このように実験条件が異なる状態では,predictionが生じたのか生じなかったのかについて議論してもしょうがない。もしかすると両者がどちらも正しい可能性だってある。このように,一見矛盾した主張をしている文献たちも,条件を慎重に対比していけば実は矛盾していないことに気づくということはしばしばある。その際,temporal attentionとspatial attentionを区別するような「attentionの定義に対する細やかさ」が求められるのは明らかだ。
その点でいえば,EvA論争は,実験条件の齟齬がもたらす不毛なdichotomyであったかというと,そうではないと考えている。同じような実験条件では,同じような結果が示されているのだ。temporal attentionを扱った研究においては,タスクの内容と直接関わるattentionに対して,「どれくらいその刺激が現れやすいか」という確率が交絡因子として修飾してしまうことがある。この因子が入り込む程度が各実験パラダイムで少しずつ違うと,dichotomyを生み出す温床となってしまう。蓋を開けてみると,今回レビューした論文のなかには刺激を繰り返し提示した(repetition)あとに外れた音(deviant)が提示されたときの脳波を研究対象にしているものが複数あり,こうしたrepetitionにまつわる実験パラダイムは基本的には先述の交絡因子は排除されている。先行するrepetitionは “contextual factors” などとラベリングされるわけだが,「どれくらいその刺激が現れやすいか」のようにある程度広い音列が必要になるcontextに比べれば,これは比較的狭いcontextなのである。今回のレビュー論文で繰り返し登場するcontextという単語が,比較的狭義の意味で使われていることに注意してほしい。こちらの記事で紹介しているcontextのように,広義でcontextという単語を使うことの方が多いとは思う。いずれにせよ,contentとcontextの塩梅が実験条件によって変わってくるというのが重要なポイントだ。今回のレビューはshort-term stimulationに着目したこともあり,contentレベルの話にフォーカスが寄っている。
さて,狭義のcontextという意味で実験条件が揃った研究を集めてみれば,その結果は「attentionによりERP成分はenhanceされる」ことを支持するものがほとんどである。そのカラクリはattention(≒precision)と予測誤差の関係を考えれば至極当然である。こちらの記事でpredictive codingに馴染んでいる人にとっては分かりやすいだろう。同記事で使った表現を借りるならば,first-order sensory predictionsの世界では比較的一貫した実験結果が得られているということになる。一方で,second-order sensory predictionsについては,様々なcontextual factorsが入り混じることもあり,同一の結果が得られているとはまだ言いにくい状況である。まずは「様々なcontextual factors」をしっかり分類し,それぞれのcontextについてどのようなエビデンスがあるのかをまとめるのが精一杯であった。その詳細は,3.2.2. 節の 2. Modification of Temporal Structure に当たってほしい。このセクションを読めばcontextにtop-down modulationが関わることは分かっていただけるとして,問題はそのmodulationがpredictive codingの見地からはどのように説明されるか,である。hazard ratesというstructureを例に,次稿で考えてみよう。
文責:司馬 康
参考文献
1. Näätänen, R., Tervaniemi, M., Sussman, E., Paavilainen, P., & Winkler I. (2001) “Primitive intelligence” in the auditory cortex. Trends in Neuroscience, 24:283–288.
2. Kilner, J.M., Kiebel, S.J., & Friston K.J. (2005) Applications of random field theory to electrophysiology. Neuroscience Letters, 374:174–178.
3. Auksztulewicz, R., & Friston, K. (2015) Attentional Enhancement of Auditory Mismatch Responses: a DCM/MEG Study. Cerebral Cortex, 25:4273-4283.
4. Garrido, M.I., Rowe, E.G., Halasz, V., & Mattingley, J.B. (2018) Bayesian Mapping Reveals That Attention Boosts Neural Responses to Predicted and Unpredicted Stimuli. Cerebral Cortex, 28, 1771–1782.