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2022. 4. 27

Karst de Jong 教授 特別講義 (2021.11.21)

Improvisation and the creative mind -即興演奏と創造性-

  Karst de Jong教授(以下デ・ヨング教授)は現在シンガポールの国立大学であるヨン・シウ・トウ音楽院(Yong Siew Toh Conservatory of Music)で教鞭を取るピアニスト・即興演奏家・作曲家である。2021年11月21日にAMS学生プロジェクトの学生も参加したAMS全体ミーティングで「Improvisation and the creative mind(即興演奏と創造性)」と題して特別講義が行われた。事前に学生から、教授に4つの問いを共有し、講義の後半に質問に回答する時間が設けられた。
  これまで音楽学グループでは、音楽の”聴取”体験にはどのような要素が備わるかを議論してきたが、演奏者側の視点に立って音楽演奏という活動を捉える議論はいまだ十分でなかった。今回の講義を通して演奏者側の視点に着目した議論を行ったことをきっかけとして今後さらなる議論が期待される。この記事では、講義内容の紹介と共に、即興的に音楽を演奏するという創造的な要素と、即興演奏においての”相互作用”に注目して考察する。

講義

アンカー1

即興演奏の構成要素 -自由度の段階的変化、楽しさと恐怖、今を味わう時間的感覚-

アンカー 2

  デ・ヨング教授はまず、音楽においての即興性(improvization)についての定義を行った。"improvization" という単語においての接頭語imは否定を表す。さらに "provise" は "preview" つまり物事が起こる事前に予測することであり、それゆえに”improvization”という言葉は直接的には「事前に予知することができない」ことを指していると指摘した。

        即興ではない一般的な音楽は、即興演奏と違って予知的である。そのような音楽の奏者は、曲の中で何が起こるのかを全て把握しコントロールできるようになることを目指し、繰り返し練習を行う。そして舞台上で、普段行ってきた練習を「再生」する。それに対して即興演奏では自由性が与えられており、その程度は3段階に分けられると指摘する。左に行くほど(①に近づくほど)何も予知できない即興である。

図1.png

図1. 即興演奏の自由度に基づく3段階の分類 (出典:デ・ヨング教授配布資料)

Free improvisation :事前に何も決めない即興。複数の奏者間で行うときも、何を演奏するかは前もって決めない。奏者が自然発生的に(spontaneous)に即興し相互作用する状態。

 

Idiomatic improvisation :事前にジャンル(ジャズスタイル、ロックスタイルなど)やルールが決められている。それでももちろんまだ非予知的な要素は残されている。「日本語を使うことは決められているが、何を話すかは発話者次第」という状況と同じ。

 

Spontaneous ornamentation:既存の楽曲を演奏するときに演奏者が即興的に加えるアレンジなどを指す。事前に何を演奏するかはほぼ確定していているが、楽譜通りの演奏にトリルを加えたり、数音増やしたりするなど装飾を加える。

  さらに教授は演劇においても上記のようなグラデーションがあることを指摘する。自然発生的な会話(Spontaneous conversation) とは配役だけ決められて、あとは役者が即興的にストーリーを作り上げていくタイプの演劇である。それに対してすでに台本が存在し、文字を完全に役者が暗記して臨む演劇(A made-up story/A learned text)では、外国語の台本であっても完璧に役者が覚えて演じる場合もあるだろう。その役者はネイティブスピーカーにも違和感なく受け入れられるほど流暢に言葉を話し役を演じるが、その言葉が意味するところを何もわかっていない可能性もある。後者の役者の状態は、多くのクラシック音楽演奏者と同じである可能性があると考えられる。

 

  また、教授は即興演奏においての構想要素として「楽しさと恐怖」、「"今"を味わう感覚」を挙げた。舞台では何かしないといけないと恐れてしまうあまり、舞台に上がる前に出来合いで予定通りのものを用意しようとすることもあるだろう。しかし、即興演奏の練習をしていくことで、音楽を作り出していくことに慣れると、恐れは楽しさに変わっていく(逆に楽譜通りのものを演奏するときにこそ、間違えた音を弾くかもしれないと緊張してしまうという。) また、音楽を演奏している時は、今という瞬間を味わうことができると述べた。厳密には、瞬間というよりも、瞬間+次の数秒間の予期やイメージ+少し前に何が起こったかという記憶が合わさった "bubble" の中にいると述べた。演奏している間には、数秒後の未来の選択肢が無数にあるが、次の瞬間にはその選択肢のうちの1つだけが選び取られて現実になる。

さまざまな即興演奏の検討

アンカー 3

  以上のような導入の後に、教授は即興演奏の動画を提示しつつ、様々な即興演奏の種類について個別検討を行った。
 

Solo improvisation (独奏での即興演奏) (3:20~5:27)

 

  デ・ヨング教授は、これはバロック-ロマン派音楽の文脈に沿って演奏された Idiomatic improvisation であると説明する。以下、教授のコメントを抜粋する。「事前に準備せずに演奏するのは怖いことのように思えるかもしれないが、これこそが自由の感覚である。」「Solo improvisation で緊張を感じたことはない。なぜなら即興演奏には"誤り"が存在しないからだ。上手く美しく演奏できるか不安になるかもしれないが、それは主観的な基準によって決まるものに過ぎない。」「この音はいいな、よしこの方向に行こう、などと感じながら進めていく。」「自分にとって即興演奏は冒険である。自然発生的に進む道を決めていくことができるからだ。」

 

Duo improvisation (二人での即興演奏) (26:49~28:34)
 

  教授の即興演奏の授業を受講した生徒の演奏。日本の伝統楽器の音色をどのように表現するか模索している。この即興演奏では多くの自由度が残されている(上記の①)。楽譜を見ながら二人が一緒に演奏している時とは違い、二者の間の相互作用が存在する。演奏を介して二人は「会話をし、ストーリーを共有している」のである。

A prepared improvisation ("用意"された即興演奏) ("A procession with gongs")

  一見逆説的だが、"用意されている"といっても非予知的な要素は多く残されている。ストーリーラインを作ることで事前に即興の準備をしているが、演奏者は楽器を弾きながら新しい音の出し方を模索している。このように、即興演奏は音楽制作の1つのやり方と言える。一人の作曲家が曲を書きあげ、それを演奏者が完璧に再現するという方法とはまた異なっていることが分かるであろう。

Collaborative music creation (共同での音楽の制作)

  ヨン・シウ・トウ音楽院では新入生が自身で作曲しアイデアを生み出し、他の生徒とともに演奏して相談し合いながら1つの音楽を共同制作する。まず、各生徒に"Ostinato(ある種の音楽的なパターンを続けて何度も繰り返す事)"の概念を使って音楽のアイデアを自分で作り出しながら即興演奏するように指導した。その後、参加した学生の全ての演奏を1つにまとめ、学生に互いの演奏を聴き合わせ、どの演奏が良かったか選ばせた。15:03~からの学生は4つの和音から成る基本パターンを最小単位として Ostinato を作り出した。この学生のアイデアを元に最終的に学生達が話し合いながら作り出した音楽がこちらである。最初のアナウンスでは、とある少年がロケットで3つの宇宙を発見し、探検を始めるという物語が語られる。物語が互いの生徒のアイデアを繋げる役目を果たしており、実際音楽が何を表しているかの意味を加えることは有意義であるとデ・ヨング教授は語る。今までの全てのプロセスにおいては、楽譜は使われず、一緒に話し合い、意見を出し合うことで音楽が組み立てられる。

学生からの事前質問に対する回答

アンカー 4

  その後、事前にデ・ヨング教授に送った4つの質問の回答が行われた。


① What is the difference between solo improvisation and collaborative improvisation? (from listeners’ perspective and from players’ perspective)
 聴者側、また演奏者側の両方にとって、独奏での即興演奏と他の奏者と共同で行う即興演奏の違いは何か。

     教授はふたつの即興演奏を対比して説明した。言うまでもないが、独奏の即興演奏では全てのアイデアが一人の奏者から生まれ、それをもとに曲が進行していく。一方で共同で行う即興演奏では、複数の奏者の間で各々のアイデアの交換が行われる。独奏の即興演奏においては、とあるフレーズを演奏しようとはっきりと意図せずとも、指が勝手に動いてしまうような感覚により偶発的に音楽が生まれてしまうことがある。その場合、次の文脈はそのフレーズをもとに発展させていくことを考える必要がある。

     なお独奏の即興演奏の聴者にとっては、それが即興演奏であるか否かは必ずしも本質的ではない可能性がある。例えば、即興演奏であると事前に聴者に知らせていても、演奏後に「作曲者は誰なのか」と尋ねてくる人もいれば、「どのように曲を作ったのか」と聞いてくる人もいるそうだ。一方で共同で行う即興演奏においては、互いに予期できないままアイデアを互いに交換し合う。自分が音楽を創り出し、同時に相手はそれに反応し、相手の即興に対して自分も反応する。ここでは、スポーツの試合のような動的なやりとりがある。音楽だけではなく、演奏者の表情からも互いのやりとりが生まれている。

 

② Does improvisation depend on the musician’s ability to control the creative process, or rather on his/her ability to let go of control and allow spontaneous processes to unfold? [1]
 即興演奏は、奏者が自身の創造性を制御できる能力に依るものなのか、むしろその創造性の制御を手放して自発的に創造性を展開させることができる能力に依るものなのか。

 

  答えとしては「どちらも」であると教授は説明した。音楽的な文脈や経験的規則に対してより精通しており他者に対しての反応が早く的確である演奏者の方が、質の高い即興演奏を生み出すことができる。一方で、創造性をあえて制御しないようにし、自然に任せたうえでそこからひらめきを受けるということも大切であると指摘する。それゆえに良い即興演奏は、自身の創造性をうまく制御する瞬間と、成り行きに任せて創造性を展開させる瞬間のどちらも含んでいるのである。

  

  なお、この問いに脳科学の観点から迫る研究は既にいくつか存在しており、ここで紹介したい。Limb と Braun[2]は、プロのジャズミュージシャンが即興演奏を行う際に内側前頭前皮質(MPFC)が活性化すること、また背外側前頭前皮質(DLPFC)を含む前頭葉内の領域が広範囲に不活性化することを報告した。DLPFCの不活性化とMPFCの活性化はそれぞれ意識的な思考の停止と自然発生的な思考の生成を反映しているとされる[2][3]。この結果は、即興演奏における”創造性の制御を手放して自発的に創造性を展開する能力”の重要性を示唆していると思われる。

  

  しかし一方で、Limb とBraun[2]が示した結果と一見矛盾する報告もなされている。例えばDonnayら[4]は、二人のプロのジャズミュージシャンが相互に反応し合いながら即興演奏を行った場合の脳活動を測定した。そして即興演奏時にはDLPFCはむしろ活性化し、MPFCの有意な活性化は見られない、という正反対の結果が得られた。Donnayらは、共に即興演奏を行う奏者の存在により、外部に注意し自らの行動を制御するプロセスの必要性が高まったことが結果に反映されている可能性を指摘した[4]。このように、どのような種類の即興演奏を行うかによって「創造性の制御」と「自発的な創造性の展開」のバランスは変化しうると考えられる。さらに、即興演奏の中でも、時系列的にこの2つのバランスが変化する可能性もあるのではないだろうか。記憶から文脈の可能性を手繰り寄せる活動、音楽を実際に生成する活動、生成したものを評価する活動など、複数の活動が同時にかつその全体に占める割合を変えながら進行していると考えられる即興演奏においては、即興演奏の最中においても「創造性の制御」と「自発的な創造性の展開」の割合も変化しても不思議ではないだろう。いずれにせよ、どちらか一方が他方よりも重要、などと単純に説明できるものではないのだろう。

③ What is flow state (especially in improvisation)?

 特に即興演奏においての"フロー状態"とは何を指すか。
 

     通常の時間感覚を失っている状態、つまり完全に "bubble" に没頭している状態を指す。いわば"全てが聴こえ、見えているような感覚"であり、快感や充実感をもたらすものである。

 

④ What makes music education in schools more beneficial? Should we incorporate improvisation into compulsory music education?
 音楽教育はどうすればより有益になるか。音楽教育において即興演奏を義務化するべきと考える意見についてどう思うか。

 

  高等な音楽教育の場で即興演奏を教えているが「もっと早く教える機会があれば」と感じる。完璧な再現性を目標に同じ練習を繰り返す教育ではなく、言語修得と同じく自発的な会話(spontaneous conversation)を練習する場をより若いうちから経験するべきであると説いた。

​質疑応答

アンカー 5

  最後に、質疑応答の時間が設けられた。AMSの栗原先生からは「共同で行う即興演奏では、演奏者は同じ音楽的規則やハーモニー感覚を共有しなければならないのか。」という興味深い質問がなされた。デ・ヨング教授は「そうとは限らない」と回答した上で、共同で行ったOscinatoにおいては教授側は何も指導しておらず、異なるバックグラウンドを持った生徒が自発的にアイデアの交換や相談を行った上で曲を創り上げるため、完成した音楽は一つのスタイルに収まることはないと説明した。古典的音楽が属する文脈だけでなく、若い奏者たちが日常的に接するポピュラー音楽のスタイルも含まれることがあるのである。このようにそれぞれの演奏者が持つアイデアが組み合わさった時に生まれる音楽は各演奏者の協働的な創造性によって生じると言えるのである。

 

  さらに学生の司馬さんからは「即興演奏する中で、『次にどの音・メロディーを演奏するか』という無数の選択肢からどのように1つを選んでいるのか。負担が大きく、演奏後には疲れを感じるのではないか。」という質問があった。デ・ヨング教授からは、即興演奏の訓練を重ねることによって、即興演奏が自然に感じられるようになり、次の文脈を作るために選択をしていく過程は特段苦労を要するものではなくなるとの回答があった。むしろ、進むことができる選択肢が増えるほど面白くなるという。3つの道が見えてきて、その中から右の道を選び、進むとまた3つの道が見えてきて、今度は左の道を選ぶ、という繰り返しの感覚だという。さらに須田先生の「(日本の将棋のように)選べる選択肢は限られているのではないか。」という質問に対しては、ハーモニーの進行はある程度論理的に決まるものだが、それぞれの瞬間において、より表面的なレベルでの選択肢はメロディー、装飾音符、リズムなど沢山あると説明があった。

 

  最後に学生の鈴木さんからAIによる創造に関して、ひとによる創造と、AIによる創造の区別は可能であるのかどうか質問があった。デ・ヨング教授は現在AIが創造しようが、ひとが創造しようが聴衆にとっては違いを指摘できるものではないだろうと回答した上で、現在の段階では音楽制作AIはまだまだ説得力を持っている作品を作ることができていないと指摘する。例えば現在のAIがモーツァルト音楽を学習してモーツァルト音楽のスタイルに則った楽曲を制作しても、その曲が確証を持ってモーツァルト作品であるように感じられるとは限らない。創造性の観点においては、AIが説得力を持って音楽の表現を作ることができるのであれば、そこには特に違いはないのであるという。

​考察

アンカー 6

-即興演奏と再現音楽の演奏との比較検討-

アンカー 7

  ここまでの講義で、即興演奏が教授にとっていかに自然な音楽生成のプロセスであるかを感じ取ることができた。しかし実際リアルタイムで音楽を生成し、生成したものを評価し、他の演奏者との調整や精細な運動制御など数々の高次の脳機能を必要とする即興演奏は、"数ある人間の創造的な活動の中でも最も複雑なかたちのひとつである"ことは間違いない[1]。即興性に関する文献は演劇[5]や自由な歩行[6]など様々な分野が存在するようになったが、実は音楽演奏に関する研究から始まった[1]。それゆえに、創造性の研究のうち即興演奏に関しての文献が最も蓄積されてきており、即興演奏の訓練により引き起こされる脳構造の可塑性や、創造性の脳基盤に焦点が当てられてきた。最近の研究の流れとしては、創造性は長期記憶の中から受動的に引き出されるものであるとする[7]のではなく、"発散的思考"がその核心にあるとする説が熱を帯びている[5][8] 。発散的思考とは、できるだけ多くの解説策を生み出すことを目標に、与えられた情報から新しい情報を生み出す能力[9]である。デ・ヨング教授が述べる、"複数の選択肢から1つを選んで先に進んでいく"即興演奏においての感覚は、まさに発散的思考を表現していると言える。さらに、音楽の文脈においての発散的思考力の高さは音楽家の中でも差があり、普段から即興演奏や作曲活動を行っている音楽家は高かったという結果がある[10]。注目すべきは、この発散的思考力の高さは音楽に関するもののみ有意差があったが、一般的な発散的思考力には影響がみられなかったという点である。このことから、音楽家であったとしても自然に即興演奏ができるようになるためには普段から即興演奏に特化した訓練が必要であることがわかる。つまり、再現性を重視する一般的な音楽演奏と、創造性が必要な即興演奏では全く必要な能力が異なっているのであり、デ・ヨング教授の指摘通り、音楽教育の場で即興演奏の鍛錬の機会が別の枠組みとして設けられることが必要であると考えられる。

  なお、先ほど"学生からの事前質問②"で述べた、認知制御に関わる脳のネットワーク領域自発的思考に関わるネットワーク領域の動的な相互作用について、発散的思考課題を用いて調べた研究が存在する[11]。認知制御に関わるネットワーク領域はエグゼクティブネットワークと呼ばれ、DLPFCなどを含む。また自発的思考に関わるネットワーク領域はデフォルトネットワークと呼ばれ、MPFCなどを含む。この研究では、発散的思考課題中におけるエグゼクティブネットワークとデフォルトネットワークの機能的結合の増加が報告されており、2つのネットワーク間の協調が示唆された。Beaty ら[11]も指摘する通り、このような協調関係が即興演奏の場合にも見られるのかどうかを同様の方法で調べることは重要であろう。「即興演奏において、創造性を制御する能力と創造性の制御を手放して自発的に創造性を展開する能力のどちらが大切か」という問い(学生からの事前質問②)に、より迫ることができるかもしれない。

  ここで再度確認しておきたいのが、一般的な音楽演奏と即興演奏は互いに排反ではないということだ。先ほどA prepared improvisation ("用意"された即興演奏)の項でデ・ヨング教授が説明したことに補足して言えば、すでに楽譜が用意された再現性の高い音楽演奏においても非予知的な要素が残されている。実はかつては再現性の高い音楽演奏においても即興性は重視されていた。例えば、このような音楽の中に"カデンツァ"と呼ばれる、自由度の高い音楽が中間部に配置されることがある。カデンツァは元々の作曲家が創った主題を利用して、演奏者が"即興的"に演奏するということが求められる。かつては演奏者の腕の見せ所として、楽譜なしの即興演奏、つまり上記の分類でいう② Idiomatic improvisation (使用するテーマは決まっているが、何を演奏するかは自由)が行われていたが、次第に後年の作曲家がこのカデンツァ部分を作曲し、楽譜に書き残すようになった。すると一般的な音楽演奏において、演奏者自身が作曲するという即興的な要素は少なくなってしまったのだ。しかしながら、再現性の高い音楽演奏で本当に即興演奏的な要素がなくなるのかというと、必ずしもそうではないはずだということを強調したい。元々作曲家が最初に曲を生み出す際は、ある種即興的なプロセスを踏んでいるはずである。この作曲家による即興性は、演奏者側の努力によって取り出されることが可能なのである。ここで著名なクラシックピアニストYuja Wangのツイートで最近興味深いものがあったので紹介したい(図2)。「... 私がステージ上でこれらの作品を探求(explore)していると、毎晩新しい細部が見えてくるのです。私は作品を、慎重に計画された道筋の一部として提示するのではなく、音楽的なアイデアが自然に(spontaneously)湧いてくるようにしたい。...

図2: クラシックピアニストYuja Wang氏のリサイタル終了後のツイート(2022年4月5日)

  つまりは、一般的な音楽演奏では確かに前述の通り「曲の中で何が起こるのかを全て把握しコントロールできるようになることを目指し、繰り返し練習を行う」のだが、"全て把握しきる"ことはどんなに経験を積んできたピアニストですら"しない"のではないか。練習の段階においても本番の時間においても、本来作曲家が辿った即興的な過程を感じながら演奏することで、予知的だと思える楽譜上の音に対しても、驚きを持って接することができるのである。

-即興演奏における相互作用性-

アンカー 8

  二人が相互作用する即興演奏に関して、最近出版された神経科学分野の総説論文で興味深い説明がなされたので最後に紹介したい。 Vuust ら[12]によると、即興演奏においての相互作用とは「互いに異なる予測の統計モデル(以下内的予測モデル)を持つ二人が、予測誤差を最小化しあうプロセス」である。過去から未来への時間軸で進む音楽に従って、私たちは次に何の文脈がくるか予測し、実際に入ってくる入力との誤差が最小になることを目指している。これが予測誤差最小化仮説であるが、私たちは互いに異なる音楽経験や文化や能力を持つことで、次にどのような文脈がくるかについて予想するために、異なる内的予測モデルを持つ。それゆえに同じ音楽を耳にしたとしても、それについてどのように解釈するかは異なる(図3)。このように最初は異なる音楽的期待を持って二人が即興演奏を始めたとしても、互いの演奏に反応しながら相互作用していくにつれて、予測される拍子や調性が共通になっていく。つまり次第に互いの予測誤差は最小化され、共通の音楽的期待が形成されるようになるのだ。さらに興味深いことにVuustらは、ここで形成される音楽的期待は、「型通りの期待(schematic expectation)」に分類される、音楽の長期的な訓練や学習により形成された、メロディや和音パターンなどの事前知識による期待であると指摘し、他の2種類の音楽的期待と区別する(図4)。この3種類の期待間で程度の差はあれど、即興演奏においては二人が相互作用することで共通の音楽的期待が形成されるのである。この意味で、先ほどの栗原先生の質問とも共通するが、即興演奏に臨む二人が互いに異なる音楽的背景を持つのは必然であり、即興演奏とは両者で異なる音楽的期待を共通にしていくプロセスそのものなのである。

図5.png

図3: 二人は異なる音楽経験を持つゆえに異なる内的予測モデルを持つので、同じ文脈を聞いても異なる音楽的期待を形成する。例えばこの4音を聞いて、この文脈がハ長調(C dur)かイ短調(A moll)のどちらに属するのかは解釈が分かれ得る。ここでの音楽的期待はSchematic expectation(型通りの期待)に属する。(出典 Vuust et al.2022[12])

図6.png

図4: 次にくる音楽の文脈に関する期待には3種類あるとVuustらは指摘する。①Schematic expectation(型通りの期待):音楽の長期的な訓練や学習により形成された、メロディや和音パターンなどの事前知識による音楽的期待、②Veridical expectation(実際の期待): 特定の曲やジャンルをよく知っていることにより形成される音楽的期待、③Dynamic expectation(動的な期待):曲の中で複数回似たようなパターンが繰り返されることにより、曲の進行や文脈と共に形成される、短期的な音楽的期待、である。二人が最初に異なる”型通りの期待”を持って即興演奏を始めたとしても、相互作用するにつれて共通の期待が形成されるようになっていく。ここでは別種の期待である”実際の期待”や”動的な期待”もある程度共通化していく。(出典 Vuust et al.2022[12])

  先ほどのVuustらのレビュー論文[12]において改めて注目すべきは、即興演奏という創造的な活動の説明にも予測誤差最小化モデルを適用した点だ。一見、予測誤差最小化と、新しいものを作り出すことにより予測誤差が必ず生じる即興演奏などの創造的な行為は相入れないように思われるからである。ただしこの論文において主に説明されたのは上述したような二人の即興演奏による相互作用であり、一人での即興演奏に関しては予測可能性と新規性のバランスを取っていかないといけないために難しさがあると述べるに止まる。果たして、一人での即興演奏にもこの相互作用の説明が適応できるのだろうかと考える際、デ・ヨング教授が「即興演奏においては自分が明確に予期して演奏した音楽、意識に上る前に指が勝手に動いて結果的に生成された音楽がある」と説明したことは非常に興味深い。つまり一人で即興演奏する際は、生み出された音楽と次の音楽的文脈を予期する自分との間で反応し合う相互作用が形成されていると考えることもできるのではないだろうか。

 

      即興演奏において見られた、相手と自分、そして生み出された音楽と自分で反応し合う、この相互作用という現象は、実は最近の認知科学研究のホットトピックである。というのも今までの音楽知覚の研究は、一人ひとりの脳で起こっていることに着目しているものが多くを占めていたのに対し、二人のEEGを同時に測定できるハイパースキャニングなどの手法の登場により、相互作用に着目することができるようになっているからだ。相互作用により同じ内的予測モデルが二人の間で共有されるようになれば、神経活動も調和し同期してくることがわかっている[13][14]。相互作用する二人の活動中の脳の同期性を調べる研究は、合唱や合奏において多く見られてきた(ギター演奏[15]、ドラム演奏[16]など)。人との相互作用は、以上のような活動の他、目線を合わせること、歩調を合わせること、会話をすることなど基本的な行動も例に含まれる。同期性が相互作用中の二人の間に見られること、これが人間同士の交流の中核的要素であり、同期により機能的にも社会的交流が促進される効果があることが知られている[17]

 

  相互作用という現象の確認を通して、人は生来社会的な生物であり、必然的に周囲環境や他者との協働・協調の中で生きていることを再認識させられる。これまでに相互作用は、他者との即興演奏時にリアルタイムで行われる表現方法のやりとり、そして自分で生み出した音楽と音楽を生み出す今この瞬間の自分とのやりとりのどちらにもみられることを見てきた。相互作用が人の社会活動で最も基本的で中核にある現象を再現していることが分かった今、即興演奏の重要性を再認識することができた。即興演奏は、再現芸術としての演奏と同様により広く演奏者の間で注目されるべき演奏方法であるのだ。

執筆:服部麻凜(東京大学医学部4年)、小林香音(慶應義塾大学医学部卒)

参考文献

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in jazz. PLoS ONE 9(2): e88665.

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