AMSS Memoirs
2020. 8. 5
音楽の情動を考える(1)
音楽を聴くことで惹起される情動とは何物なのか考えながら,芸術の普遍性に関する考察を深める。
ここ1年くらいずっと,学習塾の教え子たちと「音楽の普遍性とは何か」を考えています。授業で扱う東大
英語の過去問を見ても,芸術の普遍性について論じた文章が幾度となく出題されているのですが,その多く
が「芸術はそこまで普遍的ではない」という結論になっており,世間で一般に信じられている通説を覆すような刺激的な文章を選んでくるという点で東大英語はさすがだなあと唸ってしまいます。
こ
Music certainly isn't a universal language in the sense that you could use it to express any thought to any person on the planet. But music does have the power to evoke basic feelings at the core of the shared human experience. It not only crosses cultures, it also reaches deep into our evolutionary past.
(2019年度 東京大学 前期日程 / David Ludden, "Is Music a Universal Language?"より一部改変)
音楽は,ありとあらゆる考えを地球上のありとあらゆる人間に対して言い表すことができるか,という視点で見れば,決して普遍的な言語とは言えない。しかし,人間の経験に通底する基本的な感情を呼び起こす力は持っているのだ。それは文化を越えるだけでなく,人間の進化の歴史的過去にも深く達するものである。
ここで,音楽を聴いてどの人間も等しく感情を惹起されるということは言えるとしても,それが必ずしも等しい感情であるとは限らない,ということに注意が必要です。音楽が引き出すbasic feelingsがthe core of the shared human experienceに存在するということと,音楽が引き出すbasic feelingsそのものがthe shared human experienceであるということは,同義ではありません。もし,特定の音楽に対して「人間なら皆等しい感情を持つはずだ」と主張しようとするならば,その感情とは(Ludden自身が別の箇所で述べているように)"happiness and sadness" というかなり抽象的なものにならざるを得ないでしょう。いや,happinessやsadnessですら全員に共通な感情と言えるか怪しいかもしれない。その証拠に,個人単位でも音楽を聴くときの感情はコロコロと変わり得ます。あるときには無条件でhappyに感じた曲が,違うときに聞いてみたらsadに響いてしまう,そういう経験が自分には無数にあります。音楽が惹起する感情ほど,移ろいやすいものはありません。
先ほど引用した文章に対し,音楽への造詣が大変深い生徒Aさんがこんな感想を寄せてくれました。これは本質を突いた鋭い考察だと思います。
よく、日本のミュージシャンの方がアフリカに行って貧しい現地の子供たちに楽器の演奏を見せることで子供たちが笑顔になって「ほら音楽は国境を越えるんだ!言葉の壁を越えるんだ!」って言ったりしますが、メロディーを奏でるだけでany thought[司馬註:この表現は先ほどの文章から引用したもの]を伝えることが出来るなら通訳さんなんてみんな音楽家で代用出来てしまいますね。
Aさんが言うように,音楽を演奏したことでアフリカ人が笑顔になったということだけを根拠に「音楽は国境を越えた」と主張する場合,その意味は限定的にならざるを得ないでしょう。というのも,ここで言えたことは,音楽が日本人とアフリカ人に等しく感情を惹起するということだけで,日本人とアフリカ人とが等しい感情を惹起されているとは限らないからです。特定の音楽に対して両者が感情を持つからといってその感情が一致するとは限らないということを理解するために,次の動画が参考になると思います。この動画は,作曲家ラモーのオペラIndes Galantesをアフリカ系のラップダンサーに自由に踊らせたものですが,この動画から見て取れるアフリカ人のラモーの感じ方というのは,我々のような西洋音楽に馴染んだ人間のラモーの感じ方と一致するでしょうか。
次にAさんが指摘している,言語で伝えられる全てのthoughtを音楽で伝えられるとは思えない,という考えも妥当なものでしょう。作曲家の西澤先生も,言語が伝えるthoughtと音楽が伝えるthoughtが等価ではないことを説明しています。
僕にも、もちろん感情はある。音楽を聴いて感情を揺り動かされることも当然ある。ただ僕は、作曲家にも口が付いていることを知っている。よほど言いたいことがあるなら言葉を使ったほうが手っ取り早いことを知っている。言いたいことを言うために曲を作るのではないことを知っている。ひとつの曲を書くにはひとつの感情を保てないほど長い時間が掛かるのを、僕は経験として知っている。[...] 音楽を聴くときは、「作曲家は何を伝えようとしているのか」ではなく、「その音楽が何をしているのか」に耳を傾けなければ、ほんとうに大切なメッセージを取りこぼしてしまう。 (西澤健一『和声のはなし』)
*太字強調は司馬による
いま引用した部分の中で西澤先生が「感情」にまで踏み込んで記述している点が重要です。つまり「言語が伝えるthoughtは音楽が伝えるthoughtと等価ではない」という議論は「thought=感情」と置き換えても同様に成立するのです。言語が伝えるthoughtにはもちろん,日常生活で感じるような情動--音楽評論家Hanslickの言葉を借りれば「月並みの情動」(garden-variety emotions)--が含まれます。基本的には「悲しい」や「楽しい」といった言葉で「月並みの情動」のほとんどは説明できるでしょう。しかし,音楽が伝えるthoughtの中で「月並みの情動」はそれほど大きな部分を占めていないはずです。音楽を聴いているときの,あの筆舌に尽くしがたい感覚というのは,日常的な,言葉で説明できる類の感情と一致するとはとても思えません。なにせ,作曲に「月並みの情動」なんて保てないほど長い時間が掛かるということを,作曲家自身が証言しているわけですから。
こう考えてくると,音楽は何かを「伝えようとしている」のではなく「している」ものだという西澤先生の言葉遣いは極めて適切であると言えます。自分も「音楽に大切なメッセージを込めて…」のような象徴主義的な音楽観に抵抗感を感じます。その典型例が音楽の政治利用でしょう。ブーレーズにいたっては,「象徴としての音楽はもはや音楽ではない」と喝破したうえで,「普遍的な良さを持つように見える曲」はたいてい「象徴としての音楽」に過ぎないとまで断言しています (1)。音楽が「伝える」のか「する」のかという問題は,長きにわたって音楽哲学の論点となってきた「形式主義」とも根本的に関わります。「形式主義」についての議論は別稿に譲るとして,まずは音楽が喚起する感情に関してこれまでどのような研究がなされてきたかを概観したいと思います。
音楽情動の定義の対立
音楽情動に対する考え方は,二つの主義に大別されます (2)。情動主義者(emotivist)は,「音楽によって引き起こされた聴者の情動」 を音楽情動と定義します。 一方,認知主義者(cognitivist)は聴者自身の情動ではなく,あくまでも聴者が知覚する「音楽によって表現されている情動」を音楽情動と定義します。これは一見,無意味な対立(false dichotomy)にも思えます。音楽自体が情動を持っているとしても,結局それを知覚するのは聴者なのだから,どっちだっていいじゃないか,という見方です。しかし音楽の普遍性について論じる場合には,両者の区別は必要になりますし,情動主義を支持する結果 (3, 4) と認知主義を支持する結果 (5, 6) とがそれぞれ実際に報告されています。自分としては,両者は区別すべきだという前提のもと,両者は言及するプロセスがそもそも異なるのだから共存も可能である,という考え方をしたいです。Gabrielessonも,「音楽によって表現される情動」と「聴者の情動」の両方が存在し,さらに両者は必ずしも同一の情動ではないことを指摘しました (7)。たとえば,音楽に悲しみの情動を知覚しておきながら,快の情動が引き起こされる(だからこそ"悲しい曲"を何回も聴きたくなる)というのは誰もが経験していることでしょう (8)。実験的にも,両方の情動が存在することが示されています (9) 。脳画像を用いた情動研究では,情動を知覚するときと情動を経験するときとで異なる脳領域が活性化することも確認されています (10) 。このWagerらの研究で,fMRIやPETを使って情動を測定していることには大きな意義があります。たとえば音楽情動を調べるのに自己報告という手法 (11) を用いてしまうと,聴者が「音楽によって表現される情動」と「音楽によって引き起こされる聴者の情動」を混同して評価してしまうという危険があります。両者を分けて評価するには,脳画像など客観的測定が必要になるわけです。
音楽情動と普遍性
さて,「音楽によって表現されている情動」と「音楽によって引き起こされた聴者の情動」それぞれについて,どれほど普遍性が成立するのかを考えてみようと思います。
■ 音楽によって表現されている情動
こちらの情動はある程度の普遍性があると言えるでしょう。しかしその普遍性というのも,「誰もが等しく感情を惹起される」ことと「誰もが等しい感情を惹起される」ことの区別を意識するならば,多くは前者のレベルの普遍性であることに注意しなければいけません。換言すれば,「同じ音楽に対し,どの民族も同じ情動を感じることができる」(より制限の厳しい普遍性)よりも,「音楽は違ってもいいので,どの民族も同数の情動を感じることができる」(より制限の緩い普遍性)という言い方が適切な場面の方が多いということです。
より制限の厳しい普遍性が成立すると言いたければ,「喜び」「悲しみ」といった基本的な情動の知覚に限定した議論にならざるをえないと思います。たとえば,異文化間の音楽の知覚を調べたある研究では,西洋人がインド音楽の旋律から正しく(つまりインド音楽に慣れ親しんでいる者と一致する形で)知覚できる基本情動は,「喜び」「悲しみ」「怒り」「平和」のうち「喜び」「悲しみ」「怒り」だけだったということが示されました (12)。音楽的な文脈で「弛緩」という言葉遣いがよく出てくることからも分かるように「平和」というのは音楽の中ではかなり基本的な情動であるはずなのですが,そんな基本的な情動であっても異文化圏では感じ方が一致しないのです。人によっては,「喜び」などだけでも普遍性を指摘できればもう十分すごいではないか,と思うかもしれませんが,一方でそれらの情動だけでは我々の豊かな音楽経験はとても説明できないというのもまた事実です。自分の作る音楽を「喜び」「悲しみ」といった基本的な情動に単純化されて喜ぶアーティストはあまりいないでしょう。仮に「喜び」「悲しみ」などに分類できたとしても,その中にもさらに多様な「喜び」や「悲しみ」の感じ方があります。そこまで含めて普遍性を指摘するのはなかなか難しいと思います。
「音楽によって表現されている情動」の普遍性が狭い範囲でしか成り立たないということは,通時的な観点からも言えます。一例として,次の和声進行を見てください。
これはへ長調における和音の進行で,ふつう我々はGからCへの進行,とくにドミナントからトニックへの,つまり緊張から弛緩への動きとみなします。つまり終止を聴きます。しかし,中世および初期ルネサンス期においてこの音型は,継続するもの (continuing) として聴かれていたのです。
一方で,より制限の緩い普遍性に絞って言えば,たしかに普遍性があることが様々な研究で示されています。Adachiらは,カナダ人の子供が歌の聴取から基本情動を見つけられることを報告しています (13)。このような能力は4歳頃から発達すると言われており (14),「喜び」と「悲しみ」の区別に限定すれば9か月の幼児にもそれらの区別ができたという報告もあります (15)。音楽聴取における基本情動の知覚が成長の早い段階で発達するという結果は,普遍性を支持するものです。
ここで二つ疑問が浮かんできます。
❶基本的な情動なら音楽の感じ方は人間に普遍的だとしても,それは具体的にどういう音楽要素に反応した情動なのか。
❷そもそも,普遍性が成立するのがなぜ「基本的な」情動でなければいけないのか。そこに必然性はあるか。
❶に対しては皆同じような答えを思い浮かべるかもしれません。すなわち,「人間の感情表現と類比関係にある音楽要素に反応する」という答えです。これは音楽哲学者 Kivy が提唱する「輪郭説(contour theory)」(16) とも合致します。Kivyは「なぜセントバーナードの顔に人間は悲しさを見出すのか?」と問います。セントバーナードの顔は本当に悲しさを表現しているわけではありません。たとえ喜んでいてもセントバーナードは悲しい表情をしているように見えるからです。これに対するKivy自身の答えは「わたしたち人間が悲しんでいるときの顔のある種のカリカチュアになっているから」です。悲しげな目,シワのよった額,垂れ下がった口や耳,……こういったものたちが,悲しげな人間の顔の誇張された反映に見えるわけです。音楽でも同様の議論ができます。低い音域で,遅く,抑制されたテンポやダイナミクスの曲に「悲しさ」を見いだせるのは,それが,人が悲しいときに小さく,低く,抑制された声をするということと類比関係にあるから,と考えることができます。このように,音楽の音型,すなわち音楽の輪郭を,人間の身体的,運動的,発声的,言語的な表現的ふるまいを基礎にして我々は認知している,というのが「輪郭説」です。
しかし話はそう簡単ではありません。ここでさらに3つの疑問が浮かんできてしまいます。
❶-a) なぜ他でもなく人間の声やふるまいを聴くのか 。
❶-b) なぜ人間の声やふるまいそのものではなく,情動を聴くのか。
❶-c) 長調や短調といったコードにも情動を聴いているという事実をどう説明するか。
a) は「音楽が無生物たる楽器から奏でられていると知っておきながらどうして生物的な何かを感じ取るのか?」という矛盾を説明できなければいけません。無生物は無生物として認知するのが筋でしょう。極端な話,ピアノの高音オクターブの連打を聴いて「これは携帯の着信音のメタファー?」としか思わない人がいても全然おかしくないわけです。ところが実際はそうはならない。この問題は,聴覚以外の知覚に目を向けてみるとヒントが得られるかもしれません。視覚だったらどうか。夏の空,大きな雲がモクモクしながら動いているのを見ると,なんだか雲にも生命が宿っているんじゃないかという気がしてくる。あるいは,家の床の黒いシミを見ると,一瞬ゴキブリかもと思って身構える。こういう風に,たとえ無生物であっても,その輪郭や実体がはっきりしていないと人間はついつい生物的な何かを感じてしまうのだと思います。じゃあそれはなぜなのか,ということになりますが,おそらくそういう能力を獲得した方が人間の生存に役立ったからです。棒だと思って蛇に噛まれるよりは,蛇だと思って棒を恐れるほうが生存に有利でしょう。したがって人間が進化の過程で獲得した能力であるという見方もあながち間違いとは言えないと思います。
次のb)は,a)に付随して生じてくる疑問です。視覚情報の場合はどちらかといえば,無生物に人間的な何かを直接見出すことが多いと思いますが,音楽の場合は音楽の輪郭に直接人間の声やふるまいを聴きとっているわけではありません。我々はそこに,そのような声やふるまいをする人間が典型的に持つであろう情動をある意味間接的に聴きとっているのです。このような視覚と聴覚の違いはどうして生まれてくるのでしょうか。一つの仮説としては,聴覚は視覚に比べてはっきりと対象を特定することをしないということが関係しているかもしれません。たとえば屋外からサーッサーッサーッという音が聴こえている状態で,「あっこれは車が走っている音だな」とわざわざ特定する人はあまりいないでしょう。もちろん「なんの音ですか?」と質問されたら「車だと思います」と答えますが,こうやって質問などを通して意識を促されない限りは,特定しようとしないはずです。これは,聴覚が常に「開かれた」知覚だからだと思います。耳という器官は耳栓でもしない限り,ありとあらゆる環境の音を拾ってしまいます。自分の聴きたい音だけ選別して聴くということは(ある程度しか)できません。そこで全ての音に対して対象を特定しようとすると,脳に膨大な情報処理負荷がかかりパンクしてしまいます。だから特に意識しなければ特定しないでおく,これが普通なのです。一方で視覚はどうか。視覚は「閉じた」知覚です。自分の見たいものを選別して視線を向けます。見たくなければ目を閉じるか顔の向きを変えるかすればいいのです。だとすると,視覚で捉えている対象というのは自分の意志が絡んでいる以上,それが何かを特定できていなければいけません。だから棒という無生物に蛇という生物を直接見出そうとするのです。
最後にc)です。「コードは人間の声やふるまいと似ていないから,コードに情動を聴くことは輪郭説では説明できないのではないか?」という疑問です。たとえば,ハ長調は明るく感じるのに,ハ短調は暗く感じるのはなぜなのでしょうか。比較的よくあるのは,「同主調 (17) を比べると,短調は長調より半音下がった音を含んでいて,憂鬱な人の声が暗く沈んでいるのと類比関係をなしている」という,輪郭説を模した説明です。
しかしこれは説得力に欠けます。この説明では,同主調から相対的に暗さを認知してはじめて短調を暗いと感じられることになってしまいますが,我々は短調の曲を聴くときに常に同主調を思い浮かべているわけではないでしょう。自分の考えでは,そもそも「長調には明るい情動を,短調には暗い情動を聴く」という事実自体が怪しいと感じています。おそらくこの事実が広く観測されるのは西洋音楽(の中でも特にクラシック音楽)だけなのではないでしょうか。だとすると,コードにまつわる情動というのは,400年ほど前にヨーロッパで機能和声が確立されて以来,長年にわたるある種の「取り決め」によって知覚されるようになった情動だという捉え方が可能になります。そして,こちらでも述べたように,このような「取り決め」は生物学的基盤があるとは考えづらく,人間に普遍的なものとは言えません。以上より c)はそもそも疑問設定に不備がある(少なくとも音楽の普遍性について議論するのにはそぐわない)とみなし,これ以上の考察を避けます。
先ほど「だとすると,」と仮定してしまった部分,証拠として個人的経験も提示したいと思います。正直「短調なのに暗く感じない曲」を挙げようと思ったらキリがないのですが,ここでは一例だけ,自分が愛してやまないフジファブリックというアーティストの曲を紹介します。短調の曲ですが,非常に快活で楽しくなるような曲だと自分は感じています。
続いて❷の疑問に移ります。生徒Aさんの感想に対するコメントにおいても触れましたが,音楽が喚起する情動と,言葉で説明できるような日常的な感情というのは必ずしも一致しません。だとすると,音楽において普遍的に知覚される情動というのも,日常世界における基本的情動すなわち「喜び」や「悲しみ」と対応して当たり前,ということにはならないでしょう。しかし実際は,先ほど触れたインド音楽に対する西洋人の認知に関する研究のように,やはり「基本的情動にこそ普遍性がある」ということを示唆する結果が多いです(・・・★)。
実は自分の考えでは,音楽が喚起する多様な情動のうちほとんどは次に説明する「聴者の情動」の方に属しており,「音楽によって表現されている情動」に関して言えば,日常的な基本的情動と同じようなレベルで割と単純な知覚がなされているのでないかと思っています。これを認めるならば,★という観察事実を説明するのにあと必要なことは,日常生活での感情と音楽を聴いているときの感情が何らかの基盤を共有していることを示すことです。ここで参考になるのは,Russell and Barrett (1999) が提唱した2次元モデルです。
このモデルでは,感情処理を色の情報処理と関連させ,感情が明度や色相のような共通する属性によって表現されているのではないかと考えました。感情の場合,その属性とは「感情価」(ポジティブ-ネガティブ)と「覚醒度」(覚醒-不覚醒)の2つで,両者の組み合わせによって1つの感情の概念を作っているということです。ここで音楽について考えてみると,やはり「感情価」と「覚醒度」の二軸を設定できることがわかります。まず「感情価」に関しては,❶の疑問に対する答えの中で詳述した通りです。次に「覚醒度」についてですが,テンポが速い,リズム変化が激しい,メロディに跳躍が多い,などの特徴をもつ音楽ほど「覚醒」しやすいということが言えます。
このような共通の基盤があるなら,日常生活で感じやすい,すなわち「基本的な」情動ほど,音楽においても知覚されやすいと考えるのが自然です。もちろん何をもって「基本的な」情動とするかは個人差があると思いますが,直感的にはやはり「喜び」や「悲しみ」などでしょう。念のため発達心理学的な証拠を提示します。Lewisは,感情が分化し発達していくプロセスを次のようにまとめましたが,ここでは生後半年以内に「喜び」「悲しみ」「怒り」といった6感情を獲得することが示されています (18)。こうした発達の早い段階で獲得される感情が「基本的な」情動に対応すると考えられます。
■ 音楽によって引き起こされた聴者の情動
こちらの情動は,「音楽によって表現されている情動」以上に,普遍性を指摘するエビデンスが整っていません。人間が音楽に対して働く報酬回路を持っていることが近年分かってきました (19-21) が,どのような音楽が報酬回路に作用するかという点に関しては「逆U字曲線」など抽象的なレベルでしか普遍性を指摘できていません。そもそも今述べた報酬という概念は,情動と厳密には異なる概念であり,議論を慎重に進めていく必要があると思います。一方,不規則なコード進行を含む不確実性(uncertainty)の大きい音楽は,扁桃体を活動させることが分かっています (22) 。
「聴者の情動」の普遍性を探ろうという研究を難しくする大きな原因として,先に述べたように「聴者の情動」が「月並みの情動」とほとんど対応しないこと(したがって普通の情動研究と完全に同じ基盤で考えることはできないこと)が挙げられます。その決定的な証拠が,「日常で経験する音楽情動のほとんどがポジティブな情動である」という研究結果です。Juslinらが行った日常生活における調査では,音楽聴取で生じる情動の半分以上がポジティブな情動であり, ネガティブな情動はわずか5%しかないということが示されました (23) 。「月並みの情動」にはこれほど大きな偏りは見られないでしょう。この偏り具合はある意味当然で,もし「月並みの情動」と同じ頻度で音楽がネガティブな情動を喚起してしまったら,人間は音楽を聴かなくなってしまうはずです。よって,「聴者の情動」は「音楽によって表現されている情動」以上に「喜び」「悲しみ」といった月並みな分類が困難であり,それを脳科学的に裏付けるとなるとさらに困難を極めることになります。
さらに「聴者の情動」の処理は,単純に脳だけが関わるわけではなく,身体全体の生理学的反応も絡んでくるという点で非常に複雑なシステムになっています(こちらでも簡単に触れています)。情動研究の権威であるDamasioは,脳で生成される「感情」とは別の概念として,身体の反応として感知される刺激を「情動」と定義しましたが,音楽を聴いているときの「鳥肌感」などは(Damasioの用語法としての)「情動」も音楽処理に関わることを示唆しています。さらに「情動」の中にgroove感も含めるとなると,運動や自己受容感覚などにも視野を広げて研究を進めていく必要があるでしょう。
芸術における普遍性と美の関係
ここまで,情動という観点に立った場合に音楽の普遍性を指摘するのは一筋縄ではいかないということを見てきましたが,これは音楽の価値を貶めるものでは全くありません。音楽に「Xというメロディーが来たら必ずYのように感じる」というような普遍的かつ絶対的な力がないことこそが,音楽における「美」を成立させていると自分は考えています。同じ音楽であっても聴くたび違う発見がある,こういう情動の移ろいが音楽の一つの大きな魅力になっているわけです。リズムであれば,「逆U字曲線」という抽象的な性質さえ満たせば,意外とどんなものでも人間は楽しめるのかもしれません。
いま述べたことは,音楽に限らず他の芸術形態の「美」にも当てはまるかもしれません。Nanay(2016) は美的経験を「分散された注意(distributed attention)」と「集中した注意(focused attention)」という概念を用いて説明することを試みています(24) が ,そのなかで,「典型的な美的経験とは,ある対象に集中するもので,かつ,そうした対象の様々な性質へと分散された注意を向けることによって特徴づけられる」と論じています。たとえば,ある絵画を鑑賞することで,鑑賞者がある美的経験を行うのは,その絵という対象に集中し,かつ,その主題だけでなく色・形・構成など様々な性質に分散的に注意を払うことによってである,といいます。さらに,次々に変化する「分散された注意」により,対象を既存の見方によって眺めるのではなく「新たな性質」を見出す--いわば世界ともう一度はじめて出会うような経験をする--ことができると主張しています。これは自由エネルギー原理が想定する「探索の価値」(こちらでも簡単に触れています) と軌を一にするものであり,説得力のある主張だと思います。普遍的・絶対的・固定的な見方からの束縛が小さければ小さいほど,「探索の価値」は高まるでしょう。
重要なのは,音楽において聴くたび見出す「新たな性質」が,我々が日常生活で経験するような普遍的な感情と完全には一致しないということです。Koelschらの論文からある一節を引用しましょう。
・・・
図 2 感情の発達プロセス(Lewis 2000 を翻訳・改変)
図 1 感情の二次元モデル(Russell and Barrett 1999 を翻訳・改変)
Some music-evoked emotions may be identical to everyday life emotions (such as surprise or joy), some have different motivational components (for example, the motivation to experience sadness in music, owing to positive emotional effects such as consolation, but not in everyday life), some emotions are sought in music because they might occur only rarely in everyday life (such as transcendence or wonder) and some so-called ‘moral emotions’ occur in everyday life but usually not music (such as shame or guilt). Importantly, music-evoked emotions have goal-relevant consequences for everyday life, such as the regulation of emotions and moods, or engagement with social functions.
(Koelsch et al. 2014: 178)
ここから次のような逆説が導かれるかもしれません。「音楽において聴くたび新たに見出せる性質が,日常生活で経験するような普遍的な感情と隔絶している」ということ自体は普遍的に成立している。実際,Koelschが "Importantly, ..." 以降で示唆しているように,我々は音楽を聴くときに最初からそれを当てにしているようなところがあります。そして,その当てにした役割を音楽ほどちゃんと果たしてくれるものはありません。音楽は,常に我々の予測を裏切り続け,月並みではない特殊な高揚感を生み出し続けるからです。
司馬 康
参考文献および註
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11. 「自己報告」は,音楽情動の調査方法の中ではもっとも基本的な方法。音楽を聴取した被験者が,知覚した情動を報告する。報告のスタイルは,予め用意されたラベルから選択する方式と言葉や描画を用いた自由記述方式の2種類がある。
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