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AMSS Memoirs

2020. 6. 17

AMSS Genomeグループ (1)

  AMSS Genomeグループの第1回ミーティングで扱った議題や行われた議論,それを踏まえた考察をまとめる。

問題提起

芸術の存在意義に関する議論は絶えない(特にコロナウイルス含む疫病・災害等の非常時)。

 

目的

「情報」としての芸術をより深く理解するために,「情報」の本質を追究する。

 

メンバー

ゲノムと芸術の関係に興味があるメンバー

 

具体的な目標

・「記号」「情報」といった抽象的な概念を具体的に定義する。

・生命の起源に遡って「情報」の成立を考察する。

・パースの記号論を生命現象に適用する。それを通して人文科学(the arts)と自然科学(the sciences)の密接な関係を理解する。

・生命の誕生に見られる「記号の飛躍」において何が起こったのかを思考実験し,科学研究の過程を追体験する。

・「情報」を足がかりとして,「自己」「意図」といった生物の高次機能も理解する。

・生命の「情報」性に関わるアートを創出し,鑑賞者に「情報」への理解を促す。

なぜ「情報」について考えたいのか

 アメリカの著名な指揮者Bernsteinは,1958年からニューヨーク・フィルとともにYoung People Concerts(YPC)という企画を開始した。この企画の趣旨は「子供たちに分かりやすく・楽しくクラシック音楽を解説する」というものであり,実際にYPCは会場に多くの子供を迎え入れただけでなく,米CBSで全米の子供たちに向けても放映された。その中でBernsteinが「メロディーとは何か」(What is a melody?)を扱った回の映像が残っている。

 この中でBernsteinは,現代人がバッハのフーガやワーグナーのオペラを「melodyがない」ことを理由に聴こうとしないという問題を挙げ,その背景にmelodyとtuneの混同があるのではないかと指摘している。つまり,彼らが「melodyがない」で意味しているところは「tuneがない」である可能性があるのだ。そしてBernsteinは,melodyとtuneの決定的な相違点--melodyはそれ自体で完結していないがゆえに展開(development)を要求するという点でtuneと異なる--を理解すれば,ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」のかの有名な出だしを理解できるだけでなく,ヒンデミットといった現代作曲家によるクラシック音楽も理解できるだろう,と説いている。

 この回のプログラム構成は凝っている。なぜBernsteinはプログラムの最後にブラームスの交響曲第4番を持ってきたのか。歴史の流れに沿うならば,ヒンデミットの前にブラームスを演奏する方が自然だ。それでもブラームスを最後に回さなければならなかった理由がBernsteinにはあったのだろう。その理由は,Bernstein自身がこの動画の中で語っていることに注意深く耳を傾ければ,自ずと明らかになる。

[…] if there are any of you who didn’t like it, who found it unmelodic, awkward or graceless, let me comfort you by saying that those were just the exact words used 80 years ago about another German composer named Brahms. Now, these days, when we think of melody, we almost immediately think of the name Brahms. But there was a time when people complained bitterly about his music as being totally lacking in melody. And so, to wind up our program on melody, we’re going to play Brahms. And to show you how careful you have to be in deciding what is a melody and what isn’t, we’re going to play for you the last movement of Brahms’ 4th Symphony - an extraordinary movement for many reasons, but chiefly for the reason that its main theme is nothing but a scale of six notes (plus two notes to finish it off). […] I think that by this time you’re prepared to hear this so-called unmelodic work of Brahms as the magnificent outpouring of melody that it really is. And if you’re still wondering what is melody, just listen to this movement, and you’ll realize that melody is exactly what a great composer wants it to be.

                                                                                                                                                                           (動画38:52-41:16)

[…] いま演奏したヒンデミットの曲が気に入らなかった方,「メロディーらしさがない」「ぎこちない」「品に欠ける」などと思った方は,これから私が言うことを聞いて安心すると思います。実はいま挙げた言葉たちは,80年前にブラームスという別のドイツ人作曲家に向けられた言葉とまったく同じなのです。さあ今日なら我々は「メロディー」と言えばほぼ一瞬にしてブラームスの名を思い浮かべられるでしょう。でも彼の音楽には,メロディーが全く欠けているといって酷く非難された時代があったのです。そういうわけで,「メロディー」をテーマとした本日のプログラムの締めくくりとして,今からブラームスを演奏したいと思います。そして,何がメロディーであり何がメロディーでないのか,それを判断するには相当の注意力が必要であるということを示すべく,ブラームスの交響曲第4番の最終楽章を演奏したいと思うのです。この楽章が素晴らしい理由は数多くありますが,私がこの曲を選んだ理由はとりわけ,メイン主題がただの6つの音の音階(とそれを完結させる2つの音)から成るということにあります。[…] おそらくもう皆さんは,メロディーがないと言われたこのブラームスの作品を聴いて,本当のところどれほど壮大なメロディーが曲中で表出されているか,理解できることと思います。もしメロディーとは何なのかをまだ悩んでいる方がいたら,とりあえずこの楽章を聴いてみてください。そしたら偉大な作曲家がこの曲において目指しているものがメロディーであるということも分かっていただけるはずですから。

 ブラームスの書いた曲そのものは80年間変わっていない。一音たりとも変わっていないはずだ。この80年間で変わったのは,聴衆の方である。私たちが彼の音楽をどう解釈するかが変わったのである。上に引用したBernsteinの言葉からは,「どんな芸術作品も解釈者の側が変われば必ず価値を持つようになる」というメッセージ--特に現代音楽が敬遠されるこの時代に向けられたメッセージ--が感じられる。解釈者はmelodyとは何たるかを理解できるだけの耳の良さ(彼が言うところのcarefulさ)を持たないと,ブラームス,ひいてはクラシック音楽を受け入れることができない。80年でちゃんと解釈されるようになるなら,まだ良い方である。生命の歴史を振り返るとき,塩基配列がちゃんと--生命機構が回るくらいにはちゃんとした仕組みとして--解釈されるようになるには,ブラームスとは比べ物にならないほど長大な時間が必要だったはずだ。

 音楽を含む芸術作品と,あらゆる生物が持つ核酸の塩基配列は,「情報」を伝達するという点では同じである。そして,ここまでの話と結びつけるなら,「情報」が「解釈者」がいてはじめて成立するものであるという点でもまた,同じはずである。

 「情報」としての側面が大きい芸術というものを深く理解しようと思ったとき,人間含む生物における「情報」とは何なのかという問題を考えることが避けては通れない道であると感じる。生物も,分解すればただの物質である。ただの「原子や分子の集まり」から「情報」が生まれるとはどういうことなのか?そこには何が必要になるのか?人間はいま,当たり前のようにSNSやメディアを使いこなし,当たり前のように「情報」を伝達し合う時代に生きている。しかし,これは自明に起こるプロセスではない。ましてや,芸術という,最高形態としての「情報」を生み出し理解するプロセスは,まったくもって自明ではない。したがって,人間がいかにして「情報」を持つに至ったのか,その道のりを生命の誕生まで遡って考える必要がある。

​記号と情報

 今回の議論でまず,我々は「記号」という概念を詳しく検討した。「記号」とは簡単に言えば「何かを表すもの」である。その概念の抽象性ゆえに,日常生活においては「記号」や「情報」といった言葉の意味の違いはそれほど意識されないかもしれないが,ここでは両者を明確に異なる概念として扱う。「情報」は「解釈者」を必要とするが,「記号」は(それ自体は何かを表していたとしても)「解釈者」がいなくても成立しうる。「記号」が表すものを「解釈者」が認識してはじめて,「記号」は「情報」へと変化する。

記号と情報の関係

図 1 記号と情報の関係

 我々は今回,「記号」を以下の3種に分類した。この3つの区分はチャールズ・サンダース・パース(1839-1914)の記号論に基づいている。

1. イコン(icon)

 「記号」が「記号が表すもの」と何らかの点で類似している。一例として交通標識を挙げる。たとえば横断歩道の標識なら,そこに描かれているイラストは実際の横断歩道の様子と非常に似ている。

 

2. インデックス(index)

 「記号」と「記号が表すもの」の間に因果関係がある。たとえば煙が空に立ち昇っているのを見れば,私たちはその煙を引き起こす火の存在を想定する。この例では「煙」=「記号」,「火」=「記号が表すもの」であり,そこには「火」→「煙」という因果関係が成立している。

 

3. シンボル(symbol)

 「記号」と「記号が表すもの」の関係は類似関係でも因果関係でもない。両者の関係はあくまで慣習によって決まっており,記号の使用者全員がこの慣習を学習し,その約束事に従わねばならない。シンボルの代表例は言語である。たとえばdogの文字列ないし音声と,それが表す「犬」という動物との間には,何ら必然の関係はない。英語母語話者の慣習として両者が関係づけられているだけである。極論を言えば,catが「犬」を表すという民族がいたとしても全然おかしくないのである。

symbolic関係.png

図 2 言語に見られるsymbol記号

(司馬によるAMSS学生発表『ことばと音楽』(2020/2/14)より引用)

 ただし,言語が持つ「記号」的側面がすべてsymbolであるとは限らない。まず言語においてもicon的な面は存在する。オノマトペは,その音声とそれが表す実際の音に類似関係があるだろう。テクストの構造のいくつかの側面もまた,類像性を示す。たとえば,ある出来事Aを出来事Bよりも先に文中で話題にすることで,AがBよりも事前に起きたことを類像的なやり方で伝えられる。さらに言語にはindex的な面も存在する。不明瞭な話し方をする人がいれば,その話し手が酩酊した状態であることを意味すると受け取れるかもしれない。あるいは,深いバリトンの声は話し手が男性であることを伝える。大阪弁のような発音や抑揚を耳にしたときには,その話し手が関西出身だと推察するのはもっともなことである。しかしまた,言語の記号的役割の大部分がシンボルであることも間違いないだろう。言語学の一派である認知言語学にいたっては,「言語とは根本的・本質的に,symbol的記号としての性質をもつものだ」という見方を大前提として議論を進めていく(認知言語学と芸術研究の接点に関してはこちらも参照されたい)。

​ さて,言語について見たように,特定の記号を3種のいずれかに綺麗に分類することは難しいことも多い。したがって,この3分類を明確に排反なものとして捉えるよりも,連続体的に捉えた方が良い場合もある。今回我々が生命の誕生を「記号」という観点から捉えるにあたっても icon→index→symbolという連続体的な理解が役立った。詳しい議論は後の節に譲る。

生物を「記号」「情報」から捉える

 この世界には,すでに情報が溢れかえっている。前節で「記号」として挙げたものは,現代においてはすべて「情報」として成立しうる。今や道路標識だって言語だって何もかも「情報」なのだ。情報の量・種類をここまで増やしたのは,高度な文明をもった人類である。しかし,人類が文化を形成するはるか昔から,もっと言えば人類(ホモ・サピエンス)が誕生するはるか昔から,生命は非常に優れた「情報」機構として存在していた。我々が今回注目したかった「情報」は,人間が文化として後天的に作り出した「情報」ではなく,生命そのものに根源的に備わる「情報」である。まずは後者を理解しないことには,前者を理解することもできない。

 

 生命の誕生において,具体的にどの時点で「情報」は成立したのか。この問題を考えるにあたり,我々はまず「情報」の定義を行った。(これは今回の議論で使う「情報」という言葉の意味を明確にしたに過ぎない。言葉の定義は人それぞれであって,これが「情報」の唯一の定義であるというわけではないことに注意されたい。)

 

    情報とは,媒体に関わらず複製されうるものである。 ・・・・・・

 

 ★の定義は,私たちが日常生活で使う「情報」という言葉ともそれほどズレていないと思われる。たとえば誰かが「twitterで回ってきた論文から,コロナウイルスに関する重要な情報を得た」と言った場合の「情報」というのは,もちろん入手源は論文中の活字ないし図表であるわけだが,いまは話し手の脳の神経回路に何らかの形で刻まれていると考えられる。ここで,神経回路に刻まれた情報は元々の論文にあった情報のコピーであり,かつ媒体も異なっているので,★の定義にまさに合致した「情報」の用法となっている。

 また,★の定義から,先に述べた「解釈者」の存在も必然的に導かれる。ある対象Xが,媒体が違っても複製されるためには,その複製の場にXとは別の物質Yが存在しなければならない。ここにおいてYはXの「解釈者」とみなすことができる。

生命におけるicon記号の誕生

 生命の誕生に関しては様々な仮説が唱えられているが,その中でもかなり有力視されているのは,深海の熱水孔で生命が誕生したという説である。深海熱水孔では継続的に熱エネルギーが供給されるとともに,有機物を合成する環境も整っている。1953年のユーリー・ミラーの実験では,水素・メタン・炭酸ガス・アンモニアを熱して電気刺激を加えるとアミノ酸が生まれるということが示されたが (1),深海熱水孔ではこれらの物質が豊富に存在すると同時に,熱水に伴って吹き上がる様々な鉱物が有機物合成の触媒として機能している可能性もある。実際,カナダのケベック州で採取された岩石では,熱水噴出孔により活動していた生命の痕跡と考えられる微細な筒状構造物が発見されている。(2) 

 この段階では色々な無機物・有機物が相互作用を行っているが,「情報」と呼べるような複製機構は存在していないと考えられる。たしかに有機物は条件によっては複製能力をもつことがある。実験的にも,偶然生じた有機物が分子の合成プロセスを制約して自己複製されるという現象は報告されている。(3) しかし,これは外界からのストレスおよび構成分子そのものの性質による制約であり,「ある解釈者により複製される」ものとしての「情報」とは言い難い。ここで起こっている分子間の直接的な相互作用による「複製」とは,たとえば湯船の中で起こした波が壁で反射したり互いに重なったりして同じ波形が複数作り出される,というのと同じレベルのことを言っているに過ぎない。

 

 そして有機高分子が合成されていく中で,核酸を構成するポリヌクレオチドが生まれた可能性がある。現在知られているRNAポリヌクレオチドの中には酵素としての役割を持つもの(リボザイム)があり,この酵素活性が様々な反応を制約して,特定の分子だけが合成されやすい状態を作っていったと考えられる。先述のように,このRNA自体が合成される段階においては,「情報」はまだ成立していない。一方で「記号」は成立している。RNAの塩基配列は限られた種類の塩基の並びであるが,これは塩基配列という「記号」がその分子の物理的構造を表している,という風に理解できる。そして塩基配列と物理的構造の間に成り立つ記号関係はiconである。iconは「記号」と「記号が表すもの」に類似性があるものとして定義された。塩基配列について言えば,類似関係どころか,もはやピッタリと重なる相似関係だと言ってしまってもいいかもしれない。

リボザイム.jpg

図 3 icon記号としてのリボザイム

生命におけるindex記号と情報の誕生

 そのうちリボザイムの中に,塩基配列を鋳型として別の塩基配列を作るRNAポリヌクレオチド(=RNAポリメラーゼ)が現れると,鋳型と同じ分子や構造を正確に複製できるようになる。ここでの複製は,前節における複製--分子と分子の直接的な相互作用の中で起こる複製--とは異なり,「鋳型の塩基配列をリボザイムが解釈する」という構図を有する。よって,RNAポリメラーゼ活性をもったリボザイムの誕生とともに,「記号」がついに「情報」になったと言える。また,「情報」の定義に含まれる「媒体を選ばない」という性質の重要性もこの時点で明らかになるだろう。というのは,ここで見ているプロセスは,最終的には「転写」すなわち「DNAをコピーしてRNAを合成する作業」に相当するからである。ここにはDNA⇔RNAという媒体の変換が見られる。

 さて,RNAポリメラーゼ機能のあるリボザイムが現れたことで,塩基配列の「記号」としての性質も変化する。鋳型RNAにリボザイムが結合してコピーRNAが生成されるという一連の反応には因果関係が見て取れる。よって,元の塩基配列と,リボザイムや新たに生成されたRNAの構造や機能は,index的関係にあると言える。ここにおいて塩基配列はicon記号からindex記号へと変化した。

indexの誕生.png

図 4 index記号としてのRNA

生命におけるsymbol記号の誕生

 「転写」の次は,「翻訳」ができるようになったと考えられる。「翻訳」過程ではじめて,元々のRNAとは化学的に全く関係のないアミノ酸が塩基配列と対応づけられるようになり,結論を急げば,ここでsymbol的関係が成立したということになる。

 indexからsymbolへの飛躍はとてつもなく大きい。indexまではRNAワールドの範囲内で完結するプロセスだった。前節ではRNAポリメラーゼの発生過程の詳細には立ち入らなかったが,先行研究では,ライゲーションを基本とした段階的なモデルで実際にRNAからRNAポリメラーゼが合成されうるということが報告されている。(4) しかし,転写されたRNAを鋳型としてさらにアミノ酸が作られるとなると,RNAとアミノ酸を結びつける特殊な反応機構が必要となる。すなわち,現在知られているところのtRNAの誕生が必要となるのだ。誕生したばかりのtRNAを原始tRNAと呼ぼう。

 そもそも,RNA鎖中の特定のコドンに結合する部位をもったtRNAが偶然できたとして,そこから簡単にアミノ酸合成が始まるだろうか。深海熱水孔が「原子のスープ」と呼ばれるにしても,ペプチドを合成できるくらい高濃度のアミノ酸がずっと同じ場所に存在し続けるというのは,やや考えにくい。しかし,ここで発想を転換してダーウィンの進化論的な見方をすると,RNA鎖自身がアミノ酸を濃縮できるものとして存在していたと考えることはできないだろうか。RNA鎖は直線状で一定の長さを持つので,そこにアミノ酸を捕捉した状態の原始tRNAが同時に複数結合したという可能性は十分考えられる。このようにRNA鎖が最初ペプチドを濃縮するマトリックスとして始まったという説はde Fariasらによっても提唱されている。(5)   また,(現在生体内で働いている様々なタンパク質がそうであるように)合成されたポリペプチドが今度はRNAワールドを安定化させ,ペプチド合成がさらにしやすい環境を作っていた,とも考えられる。まだ細胞膜などもなく,RNAワールドは過酷な環境に晒されていただろう。そういう環境でもRNAが安定化するためには,比較的安定なポリペプチドが供給される必要があったのかもしれない。

 現在のtRNAは,アミノ酸を捕捉する部位とアンチコドンを持ち,アンチコドン配列がアミノ酸を表すsymbol記号として機能していると考えることもできるだろう。しかし,原始tRNAもいきなりsymbolとして存在していたかと言われると,怪しい。メンバーの藝大生からも「tRNAが塩基配列とアミノ酸を結びつけるようになるというのは当たり前のように起こることなのか?感覚的に理解できない」という指摘があったし,筆者(司馬)としても当たり前のことだとは思えない。しかし,ここで今まで見てきたicon→index→symbolという連続体的な捉え方が役に立つ。いきなりsymbolに飛躍することは難しくても,最初のiconのレベルから原始tRNAが誕生したと考えることはできないだろうか?たとえば清水による研究では,原始tRNAが持つアンチコドン配列とたまたま存在したペプチドが相互作用すると,それらがアミノ酸を捕捉するポケット構造として機能しうるということが実験的に報告されている。(6)    ここでは,アンチコドンの塩基配列が,捕捉するアミノ酸の物理的構造を直接制限しているので,アンチコドン配列がicon記号として機能していることが分かる。この段階からtRNAがいかにして現在の構造へと変化し,symbolとしての役割を担うようになったかは,今後の研究で明らかにされるべき問題である。

tRNA.png

図 5 現在の生命機構におけるsymbol記号としてRNA

「自己」「秩序」「意図」と「情報」の関係

 以上のように,我々は生命の起源を「記号」「情報」という2つの観点で追ってみた。RNAポリメラーゼとともに誕生した「情報」は, symbol記号を介することで今や物質の壁を超えて複製されるようになった。この複製の規模や範囲をどんどん大きくしていけば,最終的には,私たちヒトが外部から「情報」を受け入れて脳神経に記録するという段階へと至るのだろう。しかし,このゴールに至るまでの道のりはまだまだ長い。

 第一に,いま述べた「外部から情報を受け入れる」とはどういうことなのか?我々がここまで考察してきた,生命誕生の場面に関わる「情報」というのは,原子のスープの中で合成されたものである。つまりある意味,原始生命が自ら作り出したものである。一方で,「外部から情報を受け入れる」というのは,外部環境に既にある情報を自分の中に取り込む作業である。両者のプロセスにおける「情報」は同じものなのだろうか。もし違うのであれば,具体的にどういう点で違うのか。この疑問に答える上でキーワードとなるのは,おそらく「自己」である。「外部から」という言葉遣いをした時点で,それは「自己」と「外部」を区別している。しかし,今回の考察の範囲内ではまだ「自己」というものは存在しておらず,細胞膜など「自己」と「外界」を隔てる何物かが登場するのはまだ先である。「自己」の定義とは何か,そして「自己」はいかにして形成されたか,を今後の研究課題としたい。

 第二に,長い間研究者を悩ませてきた「秩序」の問題がある。生物と無生物の決定的な違いは(一見したところ)「秩序」の有無である。生物やそれを構成する細胞は無数の原子から成り立っており,原子はブラウン運動のようなランダムな動きをするのに,なぜその一つひとつの細かな動きによって撹乱されることなく,秩序を維持することができるのだろうか。とりわけDNAが司る遺伝情報は,多種多様な原子から構成されていながらもその情報がほぼ撹乱されずに世代間で伝達されており,まさに生命の神秘と言うべきものである。自然界の無秩序から生物の秩序へという変化を今回の議論と関連させつつ考察していく必要がある。

 最後に,私たちが生命に感じてしまいがちな「意図」のようなものを,科学的にしっかり説明できなければならない。ダーウィン進化論により,生物における「意図」や「目的」といった概念は覆された。(たとえばキリンの首が長いのは,キリンが「首を伸ばしたい」という「意図」や「目的」を持っているからではなく,首が長くなるような遺伝子の突然変異および自然淘汰によるものだと説明される。)しかし,上で述べたようなプロセス--「外部環境をモニターしつつ,自己の内部の秩序を維持する」というプロセス--には,どうしても生命体の「自分を保ちたい」という「意図」を感じずにはいられなくなる。それくらい不思議なことが起こっているのである。どうやって「意図」なしに,外部環境を感知し,自分のあるべき状態を計算し,その状態にまで変化するという一連のプロセスを達成できようか。私たちの普段の感覚から言えば,外部環境を知ろうとするのにも「意図」が要るし,計算するのにも「意図」が要るし,それに合わせて自分を変化させるのにも当然「意図」が要る,という印象を持ってしまう。一方で,複雑系科学では「生命体が誕生して計算能力ができたのではなく,計算能力が先行して生命体が誕生したのだ」というような見方も提唱されており(7),そもそも何らかの物質が「存在する」だけで既に「計算する」「知る」ということが達成できている可能性が示唆されている。つまり「知る」「計算する」ということと「ある」ということは同型のメカニズムであり,いずれも世界に内在している,というのだ。 生命の情報論を出発点に,こうした原始的「意図」(に見えるもの),そしてヒトなどの高等動物が実際に持っている「意図」について考察を深めていきたい。

司馬 康

 

 

 

 

 

 

1. Miller, S. L. (1953) A production of amino acids under possible primitive earth conditions. Science, 117, 528–529.

2. Dodd, M. S., Papineau, D., Grenne, T., Slack, J. F., Rittner, M., Pirajno, F., O'Neil, J., & Little, C. T. (2017) Evidence for early life in Earth's oldest hydrothermal vent precipitates. Nature, 543(7643), 60-64.

3. Colomb-Delsuc, M., Mattia, E., Sadownik, J. W., & Otto, S. (2015) Exponential self-replication enabled through a fibre elongation/breakage mechanism. Nature Communications, 6: 7427.

4. Briones, C., Stich, M., & Manrubia, S. C. (2009) The dawn of the RNA World: toward functional complexity through ligation of random RNA oligomers. RNA, 15(5), 743-749.

 この論文は次のリンクからオープンアクセスできる。
  https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2673073/

5. de Farias S. T., Rêgo T. G., José M. V. (2016) tRNA Core hypothesis for the transition from the RNA World to the ribonucleoprotein World. Life 6: 15-25.

6. Mikio, Shimizu (1995) Specific aminoacylation of C4N hairpin RNAs with the cognate aminoacyl-adenylates in the presence of a dipeptide: origin of the genetic code. J.Biochem. 117, 23-26

7. Hidalgo, Cesar (2015) Why Information Grows: The Evolution of Order, from Atoms to Economies. New York: Basic Books.

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