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​糸川昌成先生 研究室訪問

2019年8月13日  学び  

東京都医学総合研究所(東京,上北沢)の糸川昌成先生(同副所長)を訪問し,精神医学の臨床・研究,脳と心の相互作用,身体と芸術の関係など,非常に刺激的なお話を伺いました。長い時間にわたり我々の質問にお付き合いくださり,本当にありがとうございました!

 

 

 

人間(ヒト)の「こころ」というのはあまりに複雑なので,それを科学的に解明しようとするときに,一体どのような心構えであればよいのか,というのはかねてからの疑問だった。それはまさに芸術,というヒトのこころに深く関係する私たちの行為を理解しようとするときにもぶち当たった疑問でもあった。そこで,精神科医でもあり,精神・こころの問題の医学的な解明に日々取り組んでいらっしゃる糸川昌成先生(東京都医学総合研究所・副所長)のもとを他のAMSSメンバー6名とともに訪ね,先生がどのような考えを持って研究なさっているのか,精神とはなにか,などを議論させていただいた。

 

たとえば,ロミオとジュリエットの話。なぜこの二人の悲劇が多くの人の涙を呼び,感動を生むのか。実際のところ,このシェイクスピアの作品を紐解けば紐解くほど,ますます「こころ」や「感動」の解明からは離れていっているのかもしれない―結局のところ,その感動をもたらすものは紙とインクでしかないのだから!つまり,先生によれば,「こころ」と「脳」(こちらは研究可能)を結びつけるのは非常に難しい。タマネギの皮を1枚1枚むいていって,最後に答えがあると思っていたら,実際はそんなところに求めていたものはないのではないか。これらの概念を超えたものがあるのではないか,と。

 

精神の研究をするという意味では,疾患も一つのモデルになる。統合失調症や,双極性障害といった精神疾患を解明する上で際立つのは,精神疾患は他の内科や外科疾患とは多くの意味で異なる,という特殊性だ。内科疾患であれば,病気の治癒は発症前の元の状態にもどることを意味する。外科領域ならば,身体からなにか(たとえば腫瘍)を取り去ったり,何か(たとえば人工肛門)を作ったりして正常に近い機能を保てるようにする。しかし,精神疾患においては「完治」や「寛解」という概念は乏しい。先生はその理由として―そしてそれが「こころ」を研究することが難しい理由にもなるのだが―精神(疾患)が脳だけの問題ではなく,身体や他者(家族や共同体)の問題としても捉えられなければならないからだ,と考えていらっしゃった。なんといっても,精神はその個体の「中」と「外」が関わり合って徐々に形作られ,変形されるものなのだ。

 

こうした(他にも今後の考えの種になるようなお話はたくさんありましたが)先生のお考えに触れて,たとえばいくつかの疑問(将来への課題?)が浮かんでくる。

  • なぜ精神疾患がほかの疾患と異なるのか

  • それが精神の社会性(内的要因だけでは形成されない)とすれば,私たちの社会性(他人とつながる)の起源・(身体的・精神的)基盤はなにか

  • 共同体としての人間社会の形成は進化のうえで必然だったのか,それとも偶然だったのか

  • 精神(疾患)は進化の上でどの時点で生まれてきたものなのか

  • 芸術を理解するには,どの程度の精神の進化・発達を必要とするのか

  • 芸術を創作するには,どの程度の精神の進化・発達を必要とするのか

など。我々AMSSの活動の中でも,実際にこころと身体を動かしてこれらの問題を探究していきたい(勉強会や実際の創作を通して考え,適宜AMSS Memoiresでも成果を報告していく)。

 

糸川先生,お忙しいところ私たちの無理をお引き受けいただき長い時間にわたりお付き合いいただき,大変ありがとうございました!

 

増田康隆

​  メンバーによるレポート

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